2010年12月20日月曜日

赤城山自然牧場は何を目指しているか

赤城山自然牧場は何を目指しているか

食の自立に向けて

 私たちは20数年来「赤城山自然牧場」(畑1町2反、田んぼ4反)で自然農法を目指して活動しています。

発足
 赤城山自然牧場というのは、今から20数年前に私の考えに共鳴した数名の若者たちと共に、畑も田んぼもなく、資金さえも全くないという文字通りゼロの状態から、それこそ、寝食さえも犠牲にするような状況の中で、いっさい他からの資金的援助を受けずに、汗水を垂らし、自らの労力で資金を稼ぎ、土地や農機具を購入し、ここまで築きあげてきたものです。しかしながら、これまでに達成できたことは、当初、私が掲げた目標のごく一部にしか過ぎなく、そういう意味で、まだまだ今も発展途上にあります。

地飼い養鶏法
 赤城山自然牧場の目標については、おいおい説明していきますが、最小限の土地を購入した後、最初に手掛けたことは素人にも金をかけずにできる地飼養鶏法のモデル作りでした。廃材や中古のトタンをあちこちから貰い受けて、鶏舎を建設し、廃鶏を安く譲ってもらって、2,3か月かけて、それらの廃鶏を蘇らせることから始めたのです。私自身農業の経験がなく、まったくの素人でしたが、私には素人だからこそプロにできないような考え方もできるはずだという確信めいたものがあったのです。無駄なことや失敗もありましたが、数年間でこれはというものができました。

 最初は10羽の廃鶏から始めましたが、徐々に食卵用のニワトリを増やし、1000羽ぐらい飼うようになりました。その結果わずか1年ほどで収入的にも十分採算が取れるようになりました。卵の品質や味も大変好評で、東京の有名寿司店へも出荷していました。独特のやり方と卵の品質が評判となり、新聞の記事になったり、ラジオの番組でインタビューを受けたり、他の市町村からも視察団が来るほどになりました。

 私は日本の将来を考えたときに、どうしても農業従事者がもっともっと増えていかなければならないとずっと考えてきました。そして、素人が農業者を目指すときに、どうしたら経済的にも労力的にもスムーズに転向できるか、農業者として一家の生活を維持し、発展させていけるかということを考えてきました。その結果、そのために最も良い方法は地飼いの養鶏からスタートすることではないかと思い至りました。野菜や米づくりなどはどうしても技術や経験がないと難しく、ましてやそれで十分な収入を得ることができるようになるまでには相当の年月が必要です。その点、地飼いの養鶏は正しい知識と簡単な技術がありさえすれば、2,3か月で一家を支えるに足る収入を得ることができるのではないか、その収入で生活を維持しながら、徐々に野菜や米づくりに手を広げて行けばよいのではないかと考えたのです。このような考えに基づいて、実験的にモデル作りをゼロからやってみたのです。

 このモデルを一応完成させるために、私たちは筆舌に尽くせないほどの苦労もしましたが、一方では希望に満ちた楽しい日々でもありました。モデルづくりが完成すれば、新しく農業者を目指す人は、資金がほとんどなくとも、土地さえ使えれば(借りてでも)、私たちの作りあげたモデルをそのままマネしてやってゆけば、農業者として充分生きて行ける。そうすれば、農業者を志す人達がどんどん増えてくるだろうという希望と祈りがあったからです。

無農薬イネづくりーー深水法
 地飼い養鶏法のモデルが一応完成して、ある程度の収入が入るようになってからも、できるだけ生活は質素にして切り詰め、収入の大部分を新しい土地の購入資金に回しました。そして、次に手掛けたことは、素人にも簡単にできる無農薬のイネづくりのモデル作りです。最初は、本を頼りにすべて人力で田を起こし、代かきをし、苗床で苗を育て、手植えで田植えをしました。もちろん、いっさいの農薬や除草剤は使いません。ところが、ヒエや雑草が大量に繁殖して、イネづくりをやっているのかヒエづくりをやっているのか、雑草を育てているのか分からないような状態になり、近くで田んぼをやっているお百姓さんたちもあきれていたようです。それでもその年どうにかそこそこ収穫することができました。

 それにしても、真夏の太陽の下での連日の雑草やヒエ取りには参りました。これではダメだということで本格的に研究を始めましたが、結局、これという解決策が出なくて、翌年も悲惨な結果となりました。そうこうしているうちに、不思議なご縁で、深水法の数少ない伝承者である松村平八郎さんと知り合い、早速翌年、平八郎さんの指導で深水法を実践することにしました。おかげでその年からは田植えの後イネ刈りまで、一度も田んぼに入る必要がなくなりました。深水法のおかげで、ほとんど完全に雑草やヒエが押えられるようになったのです。収量もこの地域ではほとんど一番というほどになりました。それ以来、毎年深水法でやっていますが、最初笑っていた近所のお百姓さんたちにも感心されるほどになりました。米の品質も、お世辞抜きで、魚沼産のコシヒカリよりもおいしいと数多くの人達から賞賛をいただいています。

 これで、素人にも簡単にできるイネづくりのモデルが一応できました。一応というのは、私にはプロの人達と張り合う気持ちはなく、ただ、素人であっても、それほど手をかけることもなく、ほどほどの結果が出れば大成功だと考えているからです。マニア的になれば、イネづくりにしても養鶏にしても完成度はもっともっと上げることができると思いますし、そのようにやっている人もいます。しかし、そのために費やす労力や費用を考え、トータルな視野に立って見ると、どうも帳尻が合わなくなってくるような感じがするのです。

 深水法はこのように簡単で素晴らしい方法なので、もっともっと普及することを心から望んでいます。深水法では長苗を使います。最近の田植え機は調整すれば長苗でも植えられるようになっており、除草剤を使わず、しかも丈夫なイネが育ち、農薬の量も減らせるわけですから、深水法は一般の農家でも歓迎されて、全国に広がって行く可能性があります。また、長苗専用の田植え機の開発は技術的にはそんなに難しくはないと思います。そうなれば、深水法が日本の自然環境を守るために大変効果的方法だと広く認識されるでしょう。多くの人達に深水法の素晴らしさを知っていただきたいと思います。

 将来的には直蒔き法と陸稲づくりの実験もやってみたいと考えています。というのは、手植えによる田植えも人手さえあれば何とかなりますが、一人や二人でやるとなると結構大変な作業となります。機械植えは簡単ですが、おカネがかかります。この問題をクリアーするために、ぜひ直蒔き法を完成させたいと思っているのです。

 直蒔き法は福岡正信先生の粘土ダンゴ法をはじめ、幾人かの先人の業績があります。それらの方法を実験的に研究して、一般に普及できるモデルができればと考えています。陸稲づくりも、ちょっとした空き地を活用して、イネ作りができる道が開けたら、とても素晴らしいことになると思うのです。

野菜づくり
 野菜作りは究極的には「種さえも蒔かなくてもよい野菜づくり」を目指しています。つ まり、野草や山菜は人問が種を蒔かなくても、毎年自然に生えて育ちます。このように必 要な野菜が庭や畑に毎年自然に生えて育ってゆけば、これが本当の自然農法だと思うので す。要するに、人間ができるだけ手をかけなくて済む農法のモデルができれば、日本、そ して、世界の食料問題(さらには地球の砂漠化防止)の解決にとても有効だと考えられるのです。前述の福岡先生はこのモデルを野菜づくりだけでなく、イネづくりや麦づくり、ミカンづくりなどでほとんど成功されているようです。

 その意味で、福岡先生の思想と業績は世界的に本当に偉大です。もっともっと多くの人が福岡先生の考えを知って欲しいと願っています。私たちは福岡先生の「エデンの園」を私たちの気象条件と地形条件の中で、追試的に実験して、一般に普及しやすいモデルを作りたいと思っています。

 しかしながら、現実はなかなか思うようには進んでいません。今の段階は有機農法に毛が生えたぐらいで、まだまだ相当人手を掛けなければ、できるものもできないという状況です。私たちの畑は以前牧草地として使われていて、かなり化学肥料や農薬が撒かれていたようです。その後しばらくは放置されていましたが、初めはとても土壌が痩せていました。また、購入する種子にも問題があるようです。F1はもちろん使いません。しかし、現在市販されている種子は人工的に品種改良(私たちの考えから言えば、品種改悪?)されているために、生命力そのものがとても弱くなっているようです。このような悪条件が重なっていることと、その他いろいろな問題があり、私たちの目標から言えば、今ひとつ思うように行っていないことを率直に認めざるを得ません。これらの悪条件や問題をどう克服するかが、現在そして今後の課題となっています。

 しかし、私は「理想は信念と方法によって必ず実現できる」という強い信念を持っていますので、「この課題も必ず達成できる」と楽しみに研究と実践を進めています。現在は福岡式自然農法実現のための中間的な方法としてEM自然農法を実施しています。

農業と農
 こうして実践を重ね、研究を進めているうちに、「限りなく本当の自然農法の実現に向 かって、できるだけ化学肥料や農薬を使わない農業や農法の普及や研究が必要である」と いう確信がますます強くなってきました。と同時に、次のような考えが芽生え、だんだん 大きくなってきたのです。それは、「農業と農を区別すべきである。そして、むしろ農の 普及こそが大切なのだ」という考えです。

 簡単に言えば、空気と水は別として、すべての人間が毎日絶対的に必要とするものは食料です。現代では大部分の人は自分にとって一番必要な食料を金を払って間接的に手に入れています。古代の狩猟文明や農耕文明においては、ほとんどすべての人間が食料の獲得や生産に直接関わっていました。つまり、ほとんどの人がいわゆる生産者であり、同時に消費者でした。その後、分業文明が進み、生産者と消費者の分離が進みました。それでも、世界史的に見ても、わりに最近まで生産者であり同時に消費者である人々が全体の多数を 占めていたのです。生産者と消費者の分離が急速に大きく進んだのは、せいぜいここ40年ぐらいの間のことです。特に、戦後の日本においては工業立国の名のもとに、農村から都市へ大量の人口移動が進み、また、外国からの食料輸入が大幅に増え、生産者と消費者の分離が当たり前の姿になってしまったのは多くの方々もご承知の通りです。

 私は近代文明のすべてを否定するものでは決してありませんが、人間はもともと自然の 中で誕生し、気の遠くなるほどの年月自然の中で進化してきました。人間がいろいろな面 において自然から遊離しはじめたのは、人類の長い長い進化の歴史の中では、ごく最近の できごとであり、人間の体や心の仕組みは根本的には、まだまだ現代の非自然的生活環境 にほとんど適応できているとは言えません。

 そういうわけで、人間にとってもっとも大切なものは、自分の体と心の自然性を保ち、さらに、それを保つためにも、きれいな空気ときれいな水、そして、安全で健康な食料を得ることだと言えましょう。「これらのものを犠牲にする、あるいは、犠牲にさせるすべての個人的、家庭的、社会的生活や営み、そして社会政策等はすべて間違っている」と言っても決して過言ではないと思います。そういう意味でも、人間の本来あるべき生き方という観点から、社会的な意識を高める必要があると同時に、個人的に、あるいは、家庭的にせめて、安全で健康な食料を手に入れることが望ましいということになります。さらに、自分あるいは家族で食べる食料を自分たちでできるだけ生産することは、文明の非自然化がここまで進んできた今日においてこそ大変重要になってきているのではないでしょうか。

 簡単に言えば、今日の一般的常識とは大きく異なっていますが、素直に考えてみると、せめて自分の食べるものぐらい、できるだけ自分で作ろうということのほうが、人間にとって当然のことではないかと思われてくるのです。そういう意味で、食料はその他の生活用品や単なる商品とは根本的に性質が異なると思います。食料をただの商品としか認識しない多くの人達(消費者だけでなく生産者も含めて)に真実を見詰める目と自覚を持っていただきたいと切に望んでいます。

 私たちは天の恵みの中で生を受け、自然の恵みの中でこそ生きて生けるのです。食事の前にどんなに手を合わせ、「いただきます」と言っても、それが単なる空虚な形式や習慣になってしまっている人達が本当に多いようです。そういう人こそ、ぜひ心掛けて、家庭菜園にでも挑戦していただきたいと思います。そうすれば、私たちが考えていることを理屑抜きに理解していただけると思うのです。もし、私たちが考えていることが日本全国の多くの人達に理解され、実践されるようになれば、食糧問題などは必然的に解決され、人々は心身共に健康になり、この世界に生きる意味もより深く理解でき、人々はお互いに助け合うのが当たり前になり、派生発展的に、環境問題や教育問題など、現在深刻になっている種々の社会問題も大きく解決の方向に向かうことが予想されます。

 私たちが農業と農を区別し、農をもっともっと普及すべきだというのは、農業は現代社会のメカニズムに一つの産業として深く組み込まれており、それを正しい方向に直接的に変革していくことは、大変困難(不可能ではないでしょうが、今のところメドがいっさい立たないと言えます)であるからです。その点「農」は個人的、あるいは家庭的に、あるいは仲間同士で心掛けることによって、比較的に簡単に実現することができます。このような人々が増えていきさえすればいいのです。そうなれば、社会的な認識も高まり、結果的に、農業も本来あるべき姿が自然にはっきりしてきて、よりよい方向に変革されてくるでしょう。

 農は何よりまず楽しいものだと思います。この野菜がいくらに売れるかとか、姿形を気にする必要もないわけですから、農薬を使う必要もなく、気楽に、気持ちのいい汗を流し、みんなで協力し合い、成長する過程を楽しみ、出来たものを共に感謝して食べる。何より、心身が充実してきます。

真の世界平和に向けて
 これまで述べてきたことをまとめて、とりあえず「食の自立に向けて}と表現しておき ましょう。その視線は、とりあえず自分たちだけのための自給自足の実現ということを越 えて、日本の社会全体に向かっているということは理解していただけたと思います。

 しか し、同時に私たちは赤城山自然牧場の構想を立てたときから今日まで、常に真の世界平和の実現という目標を見据えながら活動してきました。現代の世界の困難な状況を根本的に克服するためには、どうしてもその根本原因である国家のエゴイズムを解消しなければなりません。そのためには、日本としては今後どのように世界の平和に貢献できるかということが問われなければなりません。

福岡式自然農法と野口整体
 近代文明が完全に行き詰まった根本原因は、一言で言えば、不完全な人智を頼りにして、自然からますます大きく離れる方向に進んできたということにあると思います。いたずらに、西欧式の文明にあこがれ、盲目的に追従するのではなく、海外への真の協力ということを考える際にも、それぞれの地域、地方の伝統と文化、独自の生き方を尊重し、活かしてゆくと同時に、本当の普遍的な道を伝えて行くこと、すなわち、真のグローバルな叡智と技術を伝えていくことが根本でなければなりません。

 私たちは福岡式自然農法と野口整体(野口整体については、別の機会に詳しく述べるつもりです。)の両者はまったく同じ原理に基づいているととらえています。すなわち、「自然をそのまま生き、活かす」という原理です。その意味で、日本が福岡式自然農法やEM自然農法、野日整体を海外に向けて発信していくことは人類史的な大きな意味と効果があると考えています。私たちのささやかな試みが将来大きな花を咲かせることを夢見ながら、赤城山自然牧場は今日も活動しています。

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