2011年8月3日水曜日

福島の原発大事故から見えてくるもの(後編)

福島の原発大事故から見えてくるもの(後編)
     ある講演会の記録より


電力供給力の範囲内で需要を調整する
 前編で「原発なしでも電力は不足しない」と述べましたが、確かに、現在の火力と水力で一応電力が間に合っていることは事実です。それに加えて、産業界や家庭において、世界一と言われている日本の省エネ技術を有効に活用し。さらに、節電などを心がけるべきでしょう。

 私自身は、将来的に経済成長が必要かどうか、ということについては非常に疑問を持っています。私は今後の経済活動や生活活動は、省エネ、節電などを含めて、いろいろ工夫して、現在の電力の供給力の範囲内に電力の需要を調整し収めるということを基本的な政策とすべきだと考えています。

 これまでの日本の電力政策は、電力の需要を無制限に伸ばしながら、それをカバーするために新たな発電所を次々に建設して供給力を伸ばしていくというものでした。しかし、この電力政策は日本の電気料金が国々に比べてかなり高い主要な原因であり、同時に、環境破壊やエネルギー資源の浪費をもたらす原因ともなっています。

原発なしに電力供給力を増やすとしたら
 ただ、現実には、産業界などには、経済成長を続けていくために今後もっと電力が必要だという意見は多いようです。では、今後原発なしで電力を増やす必要があると仮定した場合にはどうしたらいいのでしょうか。この点についてさらに詳しく考えてみたいと思います。

 私は、もし、電力を増やす必要があるのであれば、簡単に言えば、火力をもっと増やせばよいと思っています。従来の石油や天然ガスの火力発電、それに加えて、地域分散型の小型で高性能の火力発電です。なぜ、火力発電がよいかと言えば、それは火力発電が他の発電方式に比べて圧倒的に効率がよいからです。

 もちろん、自然エネルギーという考え方もあります。しかし、現在の技術では自然エネルギーによる発電はあまり効率がよいとは言えません。今後の技術革新に大いに期待するところです。それについては後ほど触れることにして、もう少し火力発電について述べてみたいと思います。
  
従来型の大型火力発電の問題点
 今までの火力や原子力や水力による大型発電所は、ほとんど大都市から離れた地方に建設されています。都会まで電力を送電線で何百キロという距離を引っ張ってくるわけです。ところが、電気が遠くから送電線を伝わってくる間に、大量の電力ロスが起きてしまいます。その他に送電の費用、さらに配電の費用などにかなりお金がかかります。

 また、原発もそうですが、火力発電所で発電する時に出る熱はほとんど捨てられています。本当は熱エネルギーとして、物を暖めたり、暖房や冷房にも利用できる貴重な熱が捨てられているのです。実に、もったいない話しです。

 もし、都市近郊、あるいは都市のど真ん中や、工場の中に小型の発電所を作れば、その熱をそのまま冷暖房などの熱エネルギーとして利用することができます。そうすれば、90%から100%は電気と熱源として有効利用できるようになります。

地産地消型の電気の需要供給システム
 エネルギー全般について、地域分散型の活用法がもっとも効率的なのです。そういう意味でも、地産地消型の電気の需要供給システムの普及・拡大が期待されます。

 実は、天然ガスを使って、エネルギー変換60%ぐらいの高性能の小型発電システムがすでに開発され、実際に稼動しています。東京近辺では川崎にあります。それだけで原発一基分ぐらいの発電能力があります。そういうものを、どんどん大都市や中都市などの近郊に作っていけば、狭い土地であっても、効率の高い発電をすることが出来ます。

 天然ガスは、幸いにも、日本の周りにも大量に存在するということが分かってきていますので、それをパイプで引いてくればいいのです。これから60年から70年間は天然ガスを採掘することは可能であると言われています。

 石油も一時は後20~30年しか持たないという説も流れていましたが、今のところは少なくとも50年間くらいは大丈夫だろうという説が有力で、近い将来に石油が枯渇するということはなさそうです。石油と天然ガスを有効に使うことによって、十分これからのエネルギー需要に対応していけると考えられているのです。

自然エネルギー発電
 次に、自然エネルギーによる発電について詳しく考えてみましょう。自然エネルギーによる発電方式としては、従来の大型水力発電の他に、太陽光発電や風力発電、地熱発電、小型水力発電などがあります。福島の原発事故の後、原発に替わる発電方式として自然エネルギーによる発電が注目されています。

 「原子力」あるいは「放射能」と言えば、最初から危険なイメージが伴います。それに比べて「自然」というと何か安全でクリーンというイメージが浮かんでくるのは、それこそ「自然」なことだと思います。

 また「自然」と言うと、何だか「ただ」あるいは「安い」というようなイメージも浮かんできそうです。けれども、自然エネルギーによる発電は、少なくとも現在の技術水準では、決して「ただ」でも「安く」もありません。どちらかと言えば、かなり高いのです。また、実際には、石油の節約にもなりません。

太陽光発電の問題点
 現在、日本では太陽光発電が盛んに宣伝されています。ただ、最近は技術が随分進んできましたが、太陽電池の材料であるシリコンを作るには、大量の電力が必要です。その電力は元の元をたどれば石油だということになるのです。

 太陽光発電は夜間は発電できません。また、ずっと野外に設置しておくために、当然埃(ほこり)が溜まり、日光を遮ります。さらに、1年中晴れて太陽の光に恵まれている砂漠のような気候の国々とは異なり、日本の場合は雨の日や曇りの日が多いため日射量がかなり少ないのです。したがって、稼働率や発電効率はかなり落ちます。

 このようなことから、太陽光発電はかなり高価なものとなっています。設置費用を取り戻すのに10年はかかり、それ以降やっと収支がプラスになると言われています。まだまだ太陽電池も大幅な技術革新が必要な段階だと言えるのではないでしょうか。

補助金には問題がある
 それに関していくつかの問題点があります。まず、太陽光発電を設置すると国や地方自治体などから、かなりの補助金が出ます。その分、太陽光を設置する人々は、例えば、半額だけを自己負担すればよいので、大助かりなのです。

 しかしながら、その補助金の出所は、結局は、私たちの税金です。少なくとも現段階では、太陽光発電を導入しない人々が、太陽光を導入する人々のために補助金を出しているということになります。これは太陽光発電を普及するという意味では意味があるのかもしれませんが、大きな矛盾と言えるのではないでしょうか。

 しかも、その補助金は太陽光を導入する人々ではなく、結局は、太陽光発電の設備の生産者や業者の懐に入るということになります。ということは、太陽光発電の普及政策によって、結局、誰が儲かっているというのでしょうか。


再生エネルギー法案の問題点
 現在、「再生エネ法」が注目をあびています。これは、電力会社に太陽光発電などの再生可能な自然エネルギーを一定期間、通常の電気料金より高い固定価格で買い取らせるという制度です。

 すでに、電力会社による太陽光発電の買い取りは実施されています。現在、家庭の電気料金は1キロワット時あたり23円です。2011年の4月からは電力会社は1キロワット時あたり42円で買い取っています。およそ、2倍の値段で買い取っているということです。

 高くなった差額分19円は、結局、電力会社が電気料金に上乗せして一般の私たちに請求することになります。ですから、いくら高く買い取ることになっても、電力会社はまったく損することはないのです。損をするのは、太陽光発電の設備を設置していない多くの私たちということになります。

 さらに、一定期間、通常の電気料金より高い固定価格で買い取らせるということになれば、次のような問題が出てくることが予想されます。すなわち、大量のソーラーパネルを設置して、余分に発電した大量の電気を電力会社に買い取ってもらうことによって金儲けを企む人たちが大勢出てくるのではないでしょうか。

 そうすれば、例えば、金持ちが一度大量のパネルを設置すれば、自動的に大きな収入を継続的に得られることになります。そして、パネルを設置することもできない貧乏人がそのおカネを支払い続けなければならないことになります。

 ですから、ただ「自然エネルギーは素晴らしい」とムード的に浸っていないで、自然エネルギーを普及しようという政策が大きな矛盾を引き起こす可能性があることを充分考慮にいれて、将来の方針を決めていかなければなりません。 繰り返しになりますが、それをしっかり監視するのは私たち一人ひとりなのです。

風力発電や小型水力発電の可能性と問題点
 次に、風力発電について考えてみましょう。4月22日の朝日新聞によりますと、日本全国で適切な風の条件があるところを調査したところ、風力発電の低い稼働率を考慮に入れても、原発の7~40基分がまかなえるだけの風力発電設備を作ることができる、と環境省が発表しています。

 ただ、太陽光発電もまだまだ不安定であり、風力発電もいつも風が吹いているわけではありません。スマートグリッドのようにコンピューターできちんと制御して、安定した電力の供給をもたらすシステムが必要です。その面では、日本の技術はかなり進んでいます。
 
 太陽光、風力の他に有効な発電方式は小規模の水力発電システムです。農業用水や工業用水、上水道や下水処理場放流水、オフィスビルや工場の空調設備に使う冷却水、などを利用し、小型水車を回して発電するものです。

 農業用水路だけをとってみても、全国で数十万キロメートルあります。また、川崎市・横浜市をはじめ各地で、水道局が小規模の水力発電システムを、上水道の送水管に設置して発電を行っています。

 エネルギー問題の解決を図ろうとするとき、その大前提となるのは、個人の生活の仕組みや企業の生産システムを、エネルギー資源をできるだけ無駄使いしないものへ転換していくことです。その上で、小規模でも可能な限り自然エネルギーを利用すれば、日本全体では多量の発電ができ、大規模発電システムに比べ環境に対する負荷がずっと少なくなります。

自然エネルギー発電を普及させるためには
 自然エネルギーを普及・促進するためには、それぞれの発電方式自体をより効率的にするためには、いっそう技術を革新をしていかなければなりません。しかしながら、これまで、自然エネルギーによる発電方式が本当に有効に利用されていないのは、根本的には、ほとんどの電力を大手の電力会社が独占してきたのと同時に、原発推進を国策としてきたという背景があるからです。です。

 ですから、今後の方向性としては、東電をはじめとする大手電力会社を解体して、送電・発電の部分などに分割して、一般の民間電力会社と自由に競争させることが絶対必要だと思います。そうすれば、電気の料金もかなり下がり、もっと能率的にサービスを提供できるようになると思います。

 原発に関しては、早急に全廃して、原発につぎ込んでいた国からのカネを、自然エネルギーの研究開発・技術革新の補助金にまわせば、近い将来、自然エネルギーは火力、水力と並んで電力供給の主要な柱と成長させることができるのではないでしょうか。

原発を廃止すると電気料金は高くなるのか
 ついでですが、原発を廃止して、自然エネルギーを代替で使うようになると、日本の電気料金が高くなる。そうなると、日本に生産拠点を持つ企業は国際的な価格競争に非常に不利になる。したがって、海外に生産拠点を移さなければならなくなる、という意見が財界筋には多いようです。

 これは確かに大きな問題点です。しかしながら、原発を廃止しても「火力と水力で」必要な電力はまかなえるのですから、基本的には電気料金を上げなくても済むと思うのです。もちろん、最初の調整期間には多少の問題が起こる可能性はあるでしょうが、それを工夫して乗り越えていくことが必要なのだと思います。

 また、この問題は、もともとこれまでの他の国々に比べて、日本の電気料金がかなり高すぎるところに問題があるのです。その根本原因は大手の電力会社が独断的に電力料金を設定してきたこと。また、電力の需要が少しでも増えれば、巨額のカネを投資して大型発電所を次々に建設してきたこと。その巨額のカネを電気料金に上乗せしてきたことなどにあります。

 この問題を根本的に解決するためにも、前に述べましたように、国のレベルで供給量の範囲内で需要をまかなう新しい考え方を導入する。大手電力会社の発電部門と送電部門を分割する。さらに、電力会社の自由競争を促進することなどの方向性が考えられます。

 いずれにしても、これまでの国や電力会社のあり方自体がとても異常だったということではないでしょうか。電力会社がすべてを独占して、データを捏造し、原発の事故を隠蔽し、ヤラセを指示してきたのが、福島の原発事故の後かなり表に出てきました。でも、まだまだ隠されてきたものがたくさんあるのでしょうね。

 今回の事故の背後には、電力会社、政府、官僚、政治家、財界、そういうところから研究費を貰っている御用学者や御用メデイアなど、誰とは言わないまでも、電力というものの背後にある利権に群がり、密かに徒党を組んで、国民を意のままに騙し、利用し、巨額の利権を得てきた構造があるということなのでしょう。

原発続行賛成の裏にあるもの
 ここでさらに突っこんで考えてみたいと思います。例えば、原発関連の施設がある地域では、原発は危険だから止めようという方ももちろんいます。しかしながら、原発関連の施設で働いている方は、たとえ原発は危険であったとしても、生活のために原発は必要だと考えている人々もかなりいるようです。

 子供もいるし、家族もいる。他には仕事がない。生活がかかっているのだ。原発が危険だと承知しながら、そこでやっていくしかない、ということなのでしょう。これは非常に悲しい現実です。

 しかしながら、もう一つ裏を考えてみると、生活のために、本当に止むを得ず、原発続行を支持することが、国全体として原発が維持されていくことに繋がっていくとすれば、これは大変な問題です。再び大きな事故が起こる可能性があるのです。それでもよい、ということなのでしょうか。その他の人たちはどうなるのでしょうか。

 こんなことを言えば、所詮、他人だからそんなことを言うのだ。そんなことは百も承知だ。しかし、そんなことは言っていられないのだ。他に選択の余地がないのだ、と言われてしまうかもしれませんね。やむを得ず生活のために原発が必要だと言う人たちがいるということなのです。

 ある意味では、これはギリギリのところなんですね。自分の生活、あるいは自分の家族が生きていくためには、他の人々のことを考えている余裕がない。これはお互いにそうなのではないでしょうか。自分がその立場だったらと考えてみればよく分かります。本当に厳しい悲しい現実です。

 原発関連の施設から遠く離れた地域、例えば、東京や名古屋や大阪などに住んでいる人の中には、今現在でも原発賛成という方がかなりいます。では、もし東京に原発を持ってくるということになれば、それでも賛成するのでしょうか。その方々は原発賛成と言うことなのですが、自分たちの住んでいるところに原発ができたとしても賛成なのでしょうか。おそらくそうではないと思います。

 今現在、原発賛成と言っている人たちの中でも、原発が自分の住んでいるところから離れたとことにあれば、原発に賛成するけれども、正直、自分たちのところに原発を持ってこられては困るという方が大部分なのではないでしょうか。

普天間基地の移転問題との類似
 この問題はなんとなく、普天間基地の移転問題と似ていますね。当時の首相は普天間基地を日本国外に移したい。もしそれがダメなら、少なくとも県外に移したいと言いました。

 ところがアメリカにノーと言われてしまったわけですね。それでは、他の県で引き受けてくれませんかと言っても、結局、どこも引き受け手がありません。どこの県の人びとも自分のところに新たに基地を持ってこられると困るというわけです。そうやって、結局、全部沖縄の人たちに押し付けてしまっているのです。

 この問題に関連して、多くの方々が沖縄の人たちに同情するような発言をしています。しかし、それだったら自分たちのところで引き受けるべきではないでしょうか。自分たちは沖縄の方々の苦しみを分かち合う気持ちも覚悟もなく、前首相の力不足ばかり責めるという人が多かったように思います。

 では、私たちはどうしたらよかったのでしょうか。私は、日本国民が結束して、日本政府に訴え、場合によっては、直接にアメリカ政府に普天間基地の海外移転を要求すべきだと思います。

 現在の国際情勢を考えれば、私たち自身が結束して「日本にはアメリカの基地はいらない」ということをはっきりとアメリカ政府に言うべきだ、と私は思います。しかし、あらためて充分議論を尽くした結果、もし「日本にアメリカの基地が必要だ」ということになれば、沖縄にばかりに基地を押し付けるのではなくて、日本全国で基地を分担して引き受けるべきだと思います。

エゴイズムが諸問題の根源
 いずれにしても、原発にしても、普天間基地の移転問題にしても、私たち自身の置かれた立場はいろいろ異なり、微妙な問題が背景にありますが、そこに見えてくるものは、それぞれの「自分さえよければ」という身勝手さ、あるいは、エゴイズムです。

 私は、結局、日本や世界のいろいろな深刻な諸問題の根源は「自分さえよければ」というエゴイズムにあると言ってよいと思うのです。エゴイズムを解消することなしには、日本や世界の深刻な諸問題は解決することはできないと思います。そういうことが、福島の原発大事故によってますます明確になってきたのではないでしょうか。

 福島の原発事故については、今後どのように収束していくかということは大問題です。同時に、私は、この機会を逃しては二度と原発を永久に廃止することも、日本を本当によい方向に変えていくこともできないのではないかと思います。そういう意味では、今がビッグチャンスだと思うのです。

日本と世界の未来は私たち一人一人の手の中に
ここまでで、原発関係のことについては、みなさんご承知のことが多かったと思います。問題は、結局「これからどうしたらいいか」ということです。

 ここまではっきりすれば、原発は全廃するしかありません。全廃するためには、私たち一人ひとりがその事実をはっきりデータとして確認をして、それを他の方々に確実に伝えていくということです。

 私たちは実は圧倒的多数なんですね、私たち一般の民衆は国民の99%を占めているのです。それなのに、これまでは1%の方々に完全に牛耳られてきたのです。私たち一人ひとりがもっと賢くなって、もっと力をつけて行動していくことが大切だと思います。

 私がここで言う「確実に伝える」ということの意味は、ある人に原発の真実を事実をもって伝える、ということだけでなく、このメッセージを99%の私たち全員に伝えるために、このメッセージを伝えられた人が、さらに他の人々に伝えていくという連鎖が起こらなければならないこと。その重要性をきちんと次から次へと伝えていくということです。

 この連鎖が起きなければ、原発を永久に廃止するということはいつまでたっても実現できないと思います。ましてや、本当に平和でみんなが幸福な社会を創っていくことはできません。このことは私たちが行動していくうえでもっとも大切なことだと思います。


原発だけ変えようとしても不十分
 ただ、果たして原発のことだけでいいのでしょうか。この社会で原発だけがポツンと異常なのではありません。政治、経済、福祉、教育、生活の問題など全部が密接に絡み合っているのです。

 ですから、原発の問題を原発という枠の中だけで解決しようと思っても、究極的には不可能だということなのです。この問題を解決しようと思えば、あっちの問題が出てくる。それを解決しようと思ったら、また他の問題が出てくる。というふうに、「もぐらたたき」みたいなことになっていると思うんですね。

 例えば、教育にはいろいろ問題があるから、変えなくてはいけない、と思っても、問題が大きければ大きいほど、教育という枠組み中だけでは変えることはできないのです。この社会全体がそういう仕組みになっているのであり、すべてが互いに密接に絡み合っているからです。

 この社会全体が競争社会です。その競争社会の中で、競争的教育でなく、本当に人間的な教育というものを目指すということ自体が非常に難しいということです。教育が変わるためには、特に、産業や経済のあり方が変わらなくてはいけません。そして、同時に政治も変わらなくてはいけません。

社会全体の方向性を考えることが重要
 この社会では、このようにすべてが密接に関わりあっているわけですから、 結局は、私たちはこの社会全体がどの方向に進んでいくのか、ということを考えなくてはいけない時期に来ているのだと思います。

 言葉を変えれば、私たちの文明は一体どういう方向に向かっているのでしょうか。そういうことを、これからお話してみたいと思います。

 例えば、今この社会は競争社会であると言いましたが、なぜ競争社会になっているのでしょうか。この社会の中になぜ、原発なんて危険なものが出てきたのか。なぜ、経済成長が大切だと言われるのか。こういうことを別の面から考えてみたいと思います。

エゴイズムがこの社会の基盤
 別の言い方をすれば、こういう原発の事故が起きてきた一番の根本的な原因は何なのか、ということです。その根本原因を探り当てて、それを取り除くことなしには、本当の意味で、この原発問題は解決していかないということです。さらには、それに付随した他の問題も解決していかないと思うのです。

 なぜ原発事故がおこったのか。その根本原因は何なのか。先ほども触れましたが、私たち自身の身勝手さというか、エゴイズムがこの社会の根底にあるのではないでしょうか。簡単に言えば、この社会自体がエゴというものをベースにして出来ているのではないでしょうか。

バラバラ観からエゴイズムが出てくる
 このエゴイズムというのは、結局は、お互いの存在がバラバラであるという思いから出てくるのだと思うのです。私たちは普段は表立って互いに対立したり、ケンカしたりしないけれども、結局は、元々お互いにみんなバラバラの存在なのだ。結局、一番大切なのは自分であり、自分の家族である。根本的にはみんな利害の対立する存在なんだという「バラバラ観」がこの社会の基本となっているのではないでしょうか。

 このバラバラ観から、最終的には、自分さえ良ければ、自分の家族さえよければ、あるいは自分の会社、あるいは自分の組織さえ良ければ、あるいは自分の国さえ良ければ、というエゴイズムが出てきているのだと思います。

 このエゴイズム社会の中で、企業であれば、他の企業よりも自分の企業が栄えることがなにより大切だとなるわけです。そして、そこには自分の生活もかかっていますので、なおさら自分の企業さえよければ、ということになります。

 エゴイズムはお互いがバラバラであるという観念から出てきます。そして、エゴイズムからいろんなことが出てきます。過剰な競争意識、すなわち、他よりももっと自分の方が物質的に豊かにならなければ、もっと高い地位や肩書きがなければ安定できないなどという意識です。常に「もっともっと」と求めます。それにもかかわらず、いつまでも心が不安で不安定な生き方です。

 人と意見が違えば、そこで怒りや妬みや憎しみが出てくる。自分ひとりになれば、孤独感にさいなまれたり、自分自身を責める。これらのマイナス感情はすべて、基本的には人間の存在がバラバラであるという考え方から出てきています。

本当はみんな一体である
 ただ、ちょっと考えてみればわかることですけが、人間は本当はバラバラではありません。当たり前のことです。みんな、一つのいのちを生きているのです。もともとはみんな同じ先祖から出来ているのです。ある科学的な研究によると、現在地球上に生きているすべての人々は、今から15万年ほど前に東アフリカに住んでいたある一人の女性の子孫だということです。

 それだけの事実を取ってみても、私たちはみんな「一つのいのち」を共有しているんだということですね。英語で言えばワンネス、日本語で言えば分けることのできない一体。みんなお互い切っても切れない存在だということが、私たちの真実なのです。

 人間の体はいろいろな組織とか細胞とか器官が、バラバラではなくて、みんな協力し合って一つのいのちを生きています。それと同じように、私たちはみんな分けることの出来ない密接な関係を持った、一体関係にあるのです。これが人間の存在の真実の姿だと思います。

 その証拠に、誰でもちょっと冷静になってみれば、私たちの中にみんなと仲良くしたいという気持ちがあることに気がつきます。人とケンカすると気持ちが悪い、仲良くしたい、みんなと共に幸せになりたいということは、誰でも持っている本能です。そういう共生本能が私たちにはもともと備わっています。この個体の自分を守ろうという本能もあると同時に、みんなが共に幸せになっていこうという共生本能もあるわけですね。

エゴイズムからの脱却
 この一体の真実は、人間だけのことではありません。すべての動物、植物、大自然や宇宙とぶっ続きのいのちを私たち一人ひとりが生きているのです。私たちが自然の中で、本能的に安らぎを感じるのは、もともと私たちが自然と一体だからなのだと思います。

 人間がバラバラであるというのは、非常に表面的な考え方で、本当はみんな一つなのですね。この「みんな一体だ」という見方に立ったときに、いろんなことが変わってくると思うのです。簡単に言えば、エゴイズムからの脱却が始まるのです。

 エゴイズムには個人エゴイズムだけでなく、家族、企業などの組織、地域、国家などの集団エゴイズムがあります。ある意味では、人類の文明をここまで発展?させてきた原動力はエゴイズムだということができるでしょう。

 しかしながら、このように人類社会がいろいろな深刻な問題でほとんど行き詰まりに瀕している現実をみれば、もはや、人類社会はエゴイズムでは発展することはできない。それどころか、エゴイズムによって自分たち自身を滅ぼしかねないところまでに至ってしまったと言えるのではないかと思います。

 要するに、これまでの人類社会のエゴイズムに基づく生き方や考え方が根本的に間違っているということなのです。およそ人間の個人的、あるいは社会的な苦しみや争いの根本原因はエゴイズムにあると言っても過言ではありません。

 この原発問題を含めて、この困難を乗り越え、平和でみんなが幸福な社会を実現するためには、私たちは今こそ腹を据えて本気でエゴイズムからの脱却を図らなければならないのだと思います。

個人のエゴイズム・団体のエゴイズム・国家のエゴイズム
 しかしながら、個人としてのエゴイズムからの脱却、あるいはエゴイズムを解消するということは昔から正しい宗教が目指してきたことです。宗教ではなくとも、良識ある方々が苦心し心を砕いてきた重要な課題です。そして、確かに、一人の人間として、自分のエゴイズムから脱却、あるいはそれを解消することほど難しいことはない、というのも厳然たる事実です。

 ところで、いろいろなエゴイズムの中で、人類社会の行き詰まりをもたらした最大のエゴイズムは国家エゴイズムです。現代の国際社会は国家を単位として行動しており、それぞれの国家の基本方針は「自分の国さえよければ」というエゴイズムに置かれています。それによって、国家間の猜疑と不信と競争と対立が起きるのです。

 それに加えて、国家エゴイズムによって、その国家の中に生きる個人や活動する企業などのエゴイズムも増幅されます。そのために、個人としても、「もっともっと」と物質的欲望が増大し、企業間の競争も激しくなります。

 企業間の競争や国家間の対立や戦争などにより、科学技術文明は急速に発展します。その結果、戦争の規模も大きくなり、それがまた、科学技術を進歩させます。さらには、資源獲得競争の結果、自然破壊も進むことになります。こうしたことの総合の結果、現在人類社会がいろいろな面で行き詰っているのです。

国家エゴイズムが諸問題の元凶
 このように、国家エゴイズムの対立が国際、あるいは国内のいろいろな深刻な問題の元凶なのです。同時に、深刻な諸問題の根本的な解決をするために、国際環境会議や軍縮会議などを開催しても、国家エゴイズムの対立のもとでは、互いに自国に有利に運ぼうとして駆け引きに終始して、一向に解決への合意に至らないなどの大きな障壁となっています。

 これまでも国家エゴイズムの解消の必要性が説かれることはありましたが、すべての国が話し合って一斉に国家エゴイズムを放棄することは机上の空論でしかありません。これは国際会議での駆け引きを見ても明らかです。

 人類社会、あるいは日本社会の危機を乗り越えるためには、これまでの人類社会の歴史の流れの中で解決しようとしても絶対に不可能だと思います。根本的に解決するためには、どうしてもこれまでの人類社会の歴史の流れの外に出るしかないと思います。

日本が率先して国家エゴイズムを放棄する
 それが、国際社会において、これまで自明のこととされてきた国家エゴイズムを、日本が他の国々に先駆けて一方的に率先して放棄するということです。前に述べましたように、個人的にエゴイズムを完全に脱却、あるいは、解消することは非常に難しいことです。それゆえに、それを国家に託すことに大きな意味があるのです。

 個人としては実現が困難なことも、国家に託すことはできると思うのです。国家エゴイズムが個人や団体などのエゴイズムを助長しているのならば、国家のエゴイズムを解消することによって、個人や団体のエゴイズムのレベルが下がってくることが予想されます。

日本にみんなに納得のいく理想を掲げましょう
それが私の提案する「国家エゴイズムを超えて、日本に脱国家エゴイズムの理想を掲げましょう」ということです。具体的には「日本が国際環境平和国家を目指す」ということです。この輝かしい理想のもとに、日本が国力をあげて平和的な手段で世界の困難な諸問題のために尽くそう、というのです。

 幸いにも、日本の現行憲法は人類史上初めての脱国家エゴイズム憲法です。これは、世界の国々の中でも、日本が脱エゴイズム国家を目指すという理想を掲げるのにもっとも有利な条件に恵まれているということです。

 国内的には、この素晴らしい脱国家エゴイズムの理想のもとで、産業、教育、福祉、環境対策などにおいて大きな変化がもたらされます。同時に、私たちの日々の仕事や勉強が、あるいは、生活が国民全体の幸福、そして、恒久の世界の平和と人類の幸福という人類の願いに直結することによって、私たちは日々生きがいと充実感を感じながら、個人的にも組織的にも、脱エゴイズム社会を急速に築いていけるでしょう。

 そうすれば、平和を愛する世界の心ある多くの人々は、これこそ人類社会が諸問題を解決するのにもっとも現実的な方策であり、正道であることを改めて納得することでしょう。そうすれば、世界のそれぞれの国において、国家エゴイズム放棄への気運が大きく盛り上がっていくに違いありません。そうすれば、意外に短期間でこの世界が脱エゴイズム世界になるのではないか、と私は考えています。

 あらためて述べますが、脱エゴイズム国家、脱エゴイズム社会を実現しようという方向、あるいはビジョンの中でこそ、原発問題も根本的に解決し、教育や環境問題などの深刻な社会的問題も根本的解決に確実に向かうのだと思います。これが拙著『国の理想と憲法』において提案した要旨です。

 最後に、より深くこの提案を理解していただくために、ぜひともこの『国の理想と憲法』を読んでいただ きますよう、皆様にお願いしまして、今回の話を終わります。


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