2008年9月29日月曜日

生き方への目覚め~ある講演録から (前編-2)

生かされている世界
 先ほど申しましたように、とにかく本当の生き方をしたい、そのためには本当の生き方とは何かを知らなければならないと思いました。そういうことで、もがきにもがいて、簡単に言えば、「悟り」というような言葉なのでしょうが、それを求めに求めました。この崖を登ってこの崖の上に出ることが出来たら、きっとそれが得られるのだと思い、もがきながらよじ登っていったのです。ところが、とうとう力尽きて手が離れて崖から落ちてしまいました。崖の下は岩がごつごつした河原でこのまま死ぬのかと思ったら、何かフワッとしたものに支えられ生きていたというのが実感です。

 そういう面では小さいときもみそっかすで、落ちこぼれでしたが、私は文字通り落ちこぼれなのでしょう。すべてのことが自分の力だとは思えないのです。「生きていた」というより、むしろ「生かされていた」と言ったほうがより実感に近いかもしれません。この世界というのは元々そうできているのだと直観的に思いました。

ただ素直な気持ちに沿って生きる
 それからはただ自分の素直な気持ちに沿って生きていけばいいのだ、そして、人生の意味を生活の中で深めていけばいいのだと思い生きてきました。その頃交流のあった友達のなかで、やはり道を求めて、出家の道、お坊さんになった友人が3,4人います。私は出家というような形ではなく、あえて普通の生き方でいこうと考えました。

 普通の生活のなかで絶えず自分の心をチェックする。いかに自分の内なる心に素直になれているか見て、素直になれていなかった場合には、なぜそうなのかと反省し、自分の内なるこころに照らして考え方や行動を修正し自分を磨く。そのためには、むしろ普通の生活のほうがいいのではないのかと思ったのです。このように生きていくのは、自分自身に甘くなってしまう可能性もあり、ある意味では出家の道よりもかえって難しい生き方かもしれません。けれども、本来人間は普通に生き、そのなかで自分を磨いていくのが本筋だと思ったのです。本当の生き方をしたいという信念自体は、自分なりに自信といいますか、これ以外ないと思いましたので、そういう道を選びました。

教育の道へ
 具体的には、研究の道をそこでストップして、自分が気がついた本当の生き方、生きる意味を若い人に、伝えていきたい。そのためには教育が一番いいのではないかと思い、中学校の教師になることにしました。その時は東大の博士課程の最終まで進んでいましたので、そういう面では、いろいろな方から、なぜわざわざそういう道を選ぶのか、もったいない、というようなことも言われました。けれども、自分としてはこれこそが最高の生き方ではないかと思ったのです。というわけで、神奈川県の田舎の公立中学校で教師として勤めることになりました。

教育者になる資格はあるか
 教師になろうと思ったとき、まず、自分は教師になる資格があるかと自分に問いました。まだその時は教員免許も取得していなかったので慌てて取ったのですが、自分は果たして教育者になる資格があるのかということです。
 どういうことかと言いますと、将来結婚して自分の子供が生まれるだろう。その自分の子どもと同じように、形は違うかもしれないが、同じ深さで人様の子供を愛せるかということです。そういう自信が自分にはあるか、そういう愛情を自分は将来の生徒たちに対して持ってやっていけるかどうか。その答えははっきりイエスと出ました。

ダメな子はいない
 それから、もう一点、自分は駄目な子がいると思ってはいないかと改めて問いました。その答えは、自分自身小さい時駄目な子という形で育ちましたが、5年生の担任の先生の「あなたはできるのよ」というその言葉によって立ち直れましたから、自分の体験を通してわかりました。また、いろいろな子どもを観察しても、本当に駄目な子はいません。

 学校の試験で点数が100点の子もいれば、10点の子もいます。 10点の子がいるということは、本当は子供の点数ではなく、教師の教え方の点数なのです。つまり、教え方が悪いからその子は10点しか取れないのだということです。また、その子に意欲がないからというのではなく、その子が興味と意欲を持つような教え方をしていない教師に責任があるのだということなのです。
 このよう本当はどうかと徹底的に見ていくと、本当は成績が悪いのは子どものせいではないのです。教師が教え方をどこまでも工夫することが筋道だと思います。このように、駄目な子はいないと自分で再確認をしたうえで教師になりました。

相手のせいにせずに、伝え方を工夫する
 ところが、教師になり実際にテストをすれば、100点の子もいれば10点の子も出てくるのです。その時に、その子に問題がある、その子が頭が悪いのだ、勉強しないからだ、ということではなくて、自分の教え方に問題があると考え、どの生徒にもわかるようにと、たえず工夫をするようにしました。おかげで、自分でも教え方も随分上手になったと思います。その態度はその後もずっと続けています。人に何かを伝えようとするときに、思うように伝わらない場合、相手のせいにしないで、自分の伝え方の工夫次第なのだと考えるようにしています。
 工夫を重ねるなかで 生徒の成績も伸び、みんな生き生きしてきました。また、授業の合間には、人間としての生き方について話し合う機会をできるだけ持つようにしました。その他、部活動も活発に指導しました。こうして、生徒との信頼関係もできて、伸び伸びと楽しく教師生活をおくることができました。

さらなる飛躍を求めて
 3年ぐらいして、公立学校でできるのはこの範囲だろうという限界がわかってきました。そこで、この後はさらに飛躍を求めて、フリーでいこうと思うようになりました。こうして、4年で中学校を退職して、勉強というより勉強の仕方を教えるとともに、人間としての生き方を伝えていくことを目的として、私塾を開きました。最初は小学校・中学校・高校の生徒が対象でしたが、段々それが大学生、そして今は社会人となってきました。

一隅を照らすだけではなく
 ところが、だんだん、一隅を照らすという言葉がありますけれども、それだけでは駄目だと思うようになってきました。一生懸命真心をこめてやって、それなりの人間関係もできて、それなりに成長する。でも世の中全体を見るとどんどんレベルが下がってきているというか、人間としてのレベル、生き方のレベルが下がってきている。そんなような流れを毎年感じていました。毎年階段を一段ずつ下がっていくように感じるのです。ただ前橋で、あるいは赤城山でただ真心を持って一生懸命やっていても、一隅を照らすことはできているかもしれないが、それだけでは駄目なのだと思いました。

本当のことは教えても伝わらない
 こうして、15年ほど前からは、世界のみんなが幸福になり、世界の平和を実現するために、どうしたら世の中全体の流れを変えることができるのだろうかという方向に重点を移行してきています。
もう一つ、このような流れのなかでわかってきたことは、「生き方の本当のことは教えることはできない」ということです。本当のことは教えても伝わらない、自分で体験により気づくしかないということです。

 そういうことで、ここ10年ほどは、本当の生き方に自分で気づき、体得することを目的として、「自覚のセミナー」と、本当の世界の平和を実現するためにどうすればよいのかということを徹底的に考える「平和のセミナー」いう合宿セミナーをやっています。自覚のセミナーも平和のセミナーも日本だけでなく、ヨーロッパでも行い、まだまだ工夫するところが多々ありますが、現在までかなりの成果が上がっていると思います。 こんなところが私のこれまでの生き方です。(続く)

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